誰があなたを殺したの

千秋楽まで耐えきって

歪なわたしを誇れない

お早うございます。
今回はね私の適正と感性(?)の話です。

私って本来ものすごく感覚的で抽象的な人間なんですよね
このブログ読んでたらわかると思うんですけど
…っていつも言うんですけど分かんないっぽいですね
このブログを読んでる人にこの話をしたら
え~?そう?って言われました
なるほど?俺ってそんなに感覚的っぽくないか?
ってなったので感覚的な部分の話をしますね
友達のブログを読んで感想として
「貴方の文章は青い写真なんですよ」って言いました
意味わかんないね
いや、俺は分かるけど
なんというかその人の文章を読んでいると
真っ青なビルの隙間から遠くに見えるオレンジの朝焼けのイメージが流れてくるんですけど
それをなんて言って説明していいのか分かんなくて
青い写真っていう説明になってしまったんですけど
と。まぁ、こんな具合に感覚的な人間なんですけど
驚くほど芸術的な適性(才能)が無いんですよね
絵も描けないし、音楽も作れない。
じゃあどうやって生きてるのかというと
具象的なことを言って、考えて、している
みんなに伝わるだろう言葉を選んで
みんなが考えているだろうことも考えて
みんながしているような仕事をしている
できるのかって思われるでしょうか
意外となんとかなります
適性があったんですよね、そういうことに
接客も棚卸しも書類作成も特に頑張らなくても
ある程度できるのでなんとか生きています。
感性と適性の不一致

言葉を選べなかった頃の私のことも嫌いじゃないし
あの頃みていた世界は美しかったし
今、隠れてみている世界も好きだけど
誰にでも言える訳じゃなくなったなって思います
伝えられる人はいるけど
誰にでも自分の世界を見せていた私はもういないんですよね
出来なくなったことは沢山あります
でもそのおかげで出来るようになったことも沢山あります
今の私のこと嫌いじゃないです
みんながしていることをしようとするところ
みんなが興味ないことを諦められるところ
今の私がいるのは

わたしを否定して強制して禁止して教育して矯正してしてくれたおかげです