誰があなたを殺したの

千秋楽まで耐えきって

味の無い大きな塊

こんばんは、最近ずっとブログ書いてますね
暇なんでしょうね
今日はどんな話をしましょうか
前にも書いた記憶があるけど私の文章についての話をしましょうか
このブログを読んでくれている人に
お前の文は読んでもすぐ忘れるって言われました
悲しいがめっちゃ分かる…
けっこう重たい内容も書いてるんですけどね
印象に残んないんですよね
お陰さまで読みやすいんですけど(自己評価)
前のブログについて書いた記事でも
読後感無くない?って話しはした気がしてるんですけど
ほんとにそう
自分で自分の文割りと好きなんですけど
ほんとにねぇ印象に残らないというか
なに書いてあったっけ?って読み終わってすぐ消えるらしくて
それはさすがに傷つくわ~ってなったので
もうちょっと印象に残る文章にしたいなーって思う
友達も読んでくれてるんですけど
友達は感受性が豊かなので俺の文を好きだと言って
泣いてくれるんですよね
俺でも泣けねぇよ
俺が一番言いたいことを理解してるはずだけど
流石に泣けねぇよ
台本は泣けるのにな
なんでだろと思ったけど
なんというかこのブログ感情無くない?
どんな内容も淡々と流れていく
重く情感的に書かれていない
説明はしてくれるがその感情を想像できないまま
他人事として置かれている
わ、分かる…説明うま…
解決したなぁ

情感豊かな文章、今風に言えばエモい文章って感じ?
エモ、エモか…これは関係ない話なんですけど
前のアカウントのフォロワーがエモいって表現をめちゃくちゃ嫌ってて
エモいの別の言い方ってなんだろ(これは一人一人違うと思うんですけど)って思って
通話しながら考えたんですけど
私のなかでは寂寥感だなって思いました
冬の早朝のベランダでの喫煙だとか
夏の温くなった瓶のサイダーだとか
手を繋いだ時に感じる相手のささくれだとか
そういうものだなーって思ったんですけど
その全部が寂寥感ではないからエモって便利。
その万能感が嫌だったらしいんですけど
まぁ、万能な言葉は言葉と表現を殺すから
分からないんでも無いんですけど
でも便利で使っちゃうよね

はい、閑話休題
すぐ脱線するのは私の悪い癖です
こういうところも印象が薄くなる一因なのだろうか
うーん、印象持たせたいけど
情感的に書いたらそれはもう俺の文じゃなくない?
いらない感嘆詞もいれたいし
口語で書きたいし
いや、口語で書くことにこだわりはないんだけども
口語で書いちゃうよね~
情感的に書かないならどうやったら印象持たせようかなぁ
印象に残る文章ってなんだろう
もっと色んな文章(他人のブログでもなんでもいいから)を読むべきなんだろうなぁ
いろんな表現のしかたを知るべきだと思う
でも、よくしたいと変わりたいって似ているけど違うから
難しいよね

印象に残るようになった僕の文は
僕の文のままだろうか

歪なわたしを誇れない

お早うございます。
今回はね私の適正と感性(?)の話です。

私って本来ものすごく感覚的で抽象的な人間なんですよね
このブログ読んでたらわかると思うんですけど
…っていつも言うんですけど分かんないっぽいですね
このブログを読んでる人にこの話をしたら
え~?そう?って言われました
なるほど?俺ってそんなに感覚的っぽくないか?
ってなったので感覚的な部分の話をしますね
友達のブログを読んで感想として
「貴方の文章は青い写真なんですよ」って言いました
意味わかんないね
いや、俺は分かるけど
なんというかその人の文章を読んでいると
真っ青なビルの隙間から遠くに見えるオレンジの朝焼けのイメージが流れてくるんですけど
それをなんて言って説明していいのか分かんなくて
青い写真っていう説明になってしまったんですけど
と。まぁ、こんな具合に感覚的な人間なんですけど
驚くほど芸術的な適性(才能)が無いんですよね
絵も描けないし、音楽も作れない。
じゃあどうやって生きてるのかというと
具象的なことを言って、考えて、している
みんなに伝わるだろう言葉を選んで
みんなが考えているだろうことも考えて
みんながしているような仕事をしている
できるのかって思われるでしょうか
意外となんとかなります
適性があったんですよね、そういうことに
接客も棚卸しも書類作成も特に頑張らなくても
ある程度できるのでなんとか生きています。
感性と適性の不一致

言葉を選べなかった頃の私のことも嫌いじゃないし
あの頃みていた世界は美しかったし
今、隠れてみている世界も好きだけど
誰にでも言える訳じゃなくなったなって思います
伝えられる人はいるけど
誰にでも自分の世界を見せていた私はもういないんですよね
出来なくなったことは沢山あります
でもそのおかげで出来るようになったことも沢山あります
今の私のこと嫌いじゃないです
みんながしていることをしようとするところ
みんなが興味ないことを諦められるところ
今の私がいるのは

わたしを否定して強制して禁止して教育して矯正してしてくれたおかげです

死にたての君は生き生きしていた

みなさん、こんばんは。
高校時代の部活の台本読んでいたら
情緒がバグって寝られなくなりました。
なのでブログを書いて情緒を落ち着ける作戦です
大会の台本と引退の台本をどちらも読みました
大会の台本は2年の夏で
引退の台本は3年の春のはずです
そう、書いた人が違うんですね
2年の秋に死んでるので引退の台本は死んだ後に書いてます
そんなになにか大きな変化があったとは思いませんが
ひとつ変化が著しいところがあって
大会の台本では「話して分かり合おう、たとえ完全でなくても相手の意見に耳を傾けることはできるはずだから」って思想が語られてて
引退の台本では「誰になにも言えなくてもいいよ、でも自分にまで偽るのは無しだ」って思想になってて
そう、そうだね、話し合ったら分かり合えるなんて幻想だったね
伝えたら伝わるなんて嘘だったね
自分は自分から離れたね、そうだね、そうだね
ってなりました、泣きました。

台本全体を通して思想が溢れてて
若いなぁエネルギッシュだなぁとは別に
ものすごく内向的な人間だなぁと思いました。
きっと作品(このときで言えば台本という形)でしか思想を語れなかったんだと思います。
本当に素敵なひと。
いまの自分も嫌いじゃないし話せるのはひとえに努力の賜物だけど
内に籠って作品に昇華しないとなにも伝えられなかった頃の私も才能です。
今は話せちゃうから作る方が難しいな
こうやってブログとかでも語れてしまう
キャラクターというフィルターをかけなくても
自分の言葉で伝えられる
いいことでも悪いことでもあります
少なくとも書いていたいと思う私にとっては
書いていたいね
思想も世界も人物も
まだ書いていたい。

どうかまだわたしの中にいてください
すてきなひと。

君の"普通"が君を傷つける

そういうお話です

さっきね、二次創作の小説読んでて泣いたんですけど
なんで泣いたって
登場人物のもう生きてたくないって感情に対して
なんでそんなこと思うの…って泣いたんですよ
俺って常に感情がひとつじゃないから
そう思ったことに対して え? って思ってて
え?お前がそれ言う?って
確かになって思いました
とりあえずメンヘラ脳会議は放置して小説は読み終えたんですけど
じわじわ気になっちゃって
俺って登場人物か病んでると泣くんですよね
死にたいって思ってたり
自分に価値がない、助けてもらえないって思ってたり
嫌われてるのかなって思ってたり
辛い目にあってこれは罰だから仕方ないって思ってたり
そういうの、全部泣くんですよ
悲しくて、辛くて、寂しくて
つまり俺は
死にたいって思うことも
自分の価値が信じられないことも
嫌われてるって思うことも
自罰的に諦めることも
辛いことだって認識してるってことなんですよ
え!?そうだったの!? ってなりました
なりますよね、このブログ全部読んでれば分かると思うんですけど
全部俺に当てはまってます
でも、俺は俺のことを憐れまずに生きてる
いや、憐れんではいるのか
でも泣くほどじゃない
なんで!?おかしくない!?
何がおかしいって俺にそれは悲しいことだって認識する能力があることがおかしくない!?
疑いようもなくお前そのものなのに!?
それを悲しいとは認識できるんだ!?
な、なんで…?
ってなっちゃったからブログ書いてる
今落ち着いて考えても
誰かがそう思ってたらとても悲しいことだと思うけど
俺がそう思ってることに関しては確かにそう思ってるなぁとしか思わないんだよね
そんで気づいたのがフィクションのキャラクターに関しては
そんなことないよ…って気持ちで泣いてるし
現実のだれかに関しては
どうしてそんなこと思うの…って気持ちになるけど
自分に関してはまぁ、事実だしなぁ…ってなるわ
…そっかぁ、事実なら悲しくならないわなぁ
書くことなくなっちゃった
解決しちゃった

短いから全然関係ないこと書こうかな
最近、自殺未遂したんですけどって相談をうけて
えぇ!?ってなったんだけど
自殺未遂未遂というか
怪我する前に止められたみたいだったから
よかったって気持ちと
あぁ!今までずっと不思議だったんだけどもしかして死にたいと思って行動にうつしたら(家を出るとか)それは自殺未遂なのかな?ってなった
俺は死にたいと思って死ぬレベルのことをすることが自殺未遂だと思ってるから
人の自殺未遂話を聞きながら ? ってなることが多かったんだけど
もしかしたら死にたいと思った時点でかなり辛いのかもしれない
それで何かしようとしたら自殺未遂なのかもしれない
だとしたら納得できることが沢山ある
そりゃ話噛み合わないよな
手術(ないし病院でないとできないレベルの医療行為)しなければ全部自傷の範疇だと思うんだよな
だからデパケン飲んだのだって煙草食ったのだって
俺のなかでは自傷の範疇なんだよ
もう二度と煙草は食わねぇけど
短大の自殺決行の前に止められたのなんてなんでもないことなんだ
死ぬって決めることは俺のなかではそんなに大事じゃないから
…それが間違ってるんだろうなぁ
そっかぁ

そうじゃん、シンデレラってつまりあだ名じゃん

こんばんは
今回は普通にオタク(?)としての日記なので
気軽な気持ちで読んでくださいね

さっそく本題ですけど
みんな、シンデレラに名前があるって知ってた?
俺はさっき知りました
言われて確かにシンデレラって灰かぶりだし
名前じゃないわなって気づきました
なんならサンドリヨンとシンデレラが同じ話ってこともさっき知りました
ついでにサンドリヨンがグリム童話でないこともさっき知りました
(グリム童話にも灰かぶり姫はあるそうです)
10年ほど前に知った曲のタイトルを今知りました
お恥ずかしい限りです
こうやって今得た知識が昔から知ってることに繋がるときが一番楽しいです
嘘です
一番楽しいことが多すぎて一番じゃないかもしれない
さっきはTwitterにある小説の一部分やら短歌や詩を流すアカウントみながら
あ~~~楽しい~~~って言ってたし
その前はゲームしながらあ~楽しい~~~~つってました
毎日楽しくてなによりです
おわり

沼の前から動けない幽

友達のもう更新されなくなったブログを読んでいた
読んだことのない最新の記事があって
それを読んだときにようやく僕は友達のみている世界を感覚的に理解できたと思う
現実的でなくて連続性のない夢のように
場面が唐突に切り替わる感覚を延々と味わっているのだろう
そして内容もきっともっと抽象的なのだろうと思う
それは決して分からない感覚ではなくて
それは決して知らない感覚ではなくて
それはきっと在りし日の私が生きていた日々のような感覚なのだろうと思う
そしてたぶん私の本質もそちら側にあるのだ
分かっている
分かった上で現実的な具象的な話ばかりをしている
それが正しいと思っているから
決してともだちが間違っているとは思わないが
私は"正しいとされるから"現実的な話をしている
書きながらとても言いたくない事実に気づいてしまったので書くが
私の言う正しさとはどれだけ多くの人に伝わるかで
その筆頭は親だ
そして私の伝えたかったことを伝えたときに
わけの分からないことと断定されてからきっと私の世界は正しいものでなくなったのだと思う
その世界で生きてさえいなければ
伝えたいことも変わるのだと思ったから
でも実際は伝えたいことなど失くなってしまったし
もし仮に伝えたいことがあったとしても伝えたいという意思を失くしてしまったな
なにもなにも伝えたくない、知ってほしくないし教えたくない
バレてしまう前に死ぬ
ここまで頑なになにも伝えようとしてないのにどうして伝わらないんだろうな
信用や信頼や甘えを踏みにじっても
また手にできると思えるのは純粋に羨ましいよ
話が逸れた
そう、だから私は私の世界をみないようにしていたし
そもそもみたくないんだよな
私の世界で僕はずっと彼女の偽物だし
人間以下の泥人形でしかないから
精神を立て直せなくて泣きじゃくりながら
彼女に責め立てられてるとき以外は普通に目をそらしたい
責め立てられてるときはもうみるしかないからさ
その世界でもいいけど
それ以外ではあまり考えたくないな
だいたいもう誰にも分からないんだから僕が本物でよくないかな
だめかぁ
さっきキャスでも話したんだけどさ
つまり人に「中二病だ」って思われるようなそんな現実に生きてるんだよ
俺だってそんなの嫌だけどそれが俺にとっての現実だから
本当にふと何らかの拍子で自分が偽物であるという妄想にとりつかれてしまうし
妄想って書いたけど僕のなかでは事実だし
いつになったら本当の意味で現実的な具象的な世界で生きていけるんだろう

私は正しく"正しい人"でありたい

演出家気取りの不出来な偽物は

これは俺が勝手に思ってることなんですけど
創作する人全員そうだと思うんだけど
自分に許されるために創作してるところ無いですか?
絵を描くのも小説を描くのも
自己肯定のためじゃない?
って旨のツイートしたら全然反応されなかったの
驚いちゃったな
まだフォロワー全員にミュートされてる方が納得できるわ
まじ?みんな楽しくて創作してるの?
俺も楽しくないとは言わないけど
想像してる段階は楽しいけど作ってる最中はぶっちゃけそんなに楽しくないよ
絵は書けないから分かんないけど
小説はそう
こういうお話読みたいな~書こうかな~
からの
なに…しんどい…考えてた話と違う…
ってなる
なんというか
こういうキャラがこういうことする!って決めてるんだけど
台詞作ったり感情考えてくうちに
あー、ここはむしろこう思ってるかも、とか
こういう場面なら台詞はこうだな、とか
さっきこう言わせたからここはこう言わせないととか
あ!この台詞言わせたいから
さっきの場面の台詞変えてここにこういうシーン追加しよ!
つって話が変わる
なんで?プロットちゃんと作って?
それでも完成すると
俺は生きててもいい存在…って気持ちになる
なんなんだろうね
別に小説書いてなくても生きてていいのにね
まじであ、やば、なにも作ってない…やば…
って思うと詩書き出すから(これはあまりにも恥ずかしいのでノートに書いてます、ね、意味分かんないね)
まじでなんか書いてなきゃいけないと思ってるんだと思う
可能なら800字くらいのSS書けるようになりたいよ
週一くらいで書いて自信満々に生きていたい
俺が俺に課してるものが重すぎる
なにも創作しなくても俺を肯定していきたいし
創作したらプラスで評価してあげたい
なんで創作しないとマイナス評価なんだろうね
それでも創作することが嫌いになったりしないから
ドMなのかもしれない
あ!そう、最近はちょっとした動画?
まじで30秒あるかないかみたいなCM作るのが好き
これはまじで楽しい
今度休みの日は素材集めしようかなって思う
でも今はスマホでぽちぽちやってるくらいだから楽しくできるんだけど
もっといろんなことしたい!つって
PCで作業するようになるとこれもはぁ~やりたいことだけどやりたくねぇ~ってなる
分かるんだけど
動画を動画にしたいんだよね
今は写真を動画にしてるんだけど
撮った動画を音楽と合わせたりして動画を作りたいんだよ
なぜかずっとカレーをぶちまける動画に春嵐合わせたくてさ
なんだろうなこのイメージ
動画と静止画合わせて動画作りたーい!
絵が書けないからさこう、イメージをそのまま作れるの楽しすぎるな
文字ってどうしても説明が入るって言うか
読む側に委ねることが多いと思うんだけど
絵も動画も視覚情報にどーん!じゃん楽しいね
でもあんまり動画だと自己肯定感上がんないんだよね
ウケる楽しいとダメなのかよ
ブログはちょっとだけ自己肯定感上がるから
たぶん楽しいかどうかじゃなくて
文字かどうかなんだろうな
文章書いてない俺に価値がないんだろうね
価値の有る文章なんて書いてないのにね
書いていればいいと言う雑さ
でも動画作るとみんなすごい!って言ってくれるから
俺以外からの承認欲求満たされるよ
ありがたいね
これからも創作していくんだろうな
そうせずにはいられないんだよ