誰があなたを殺したの

千秋楽まで耐えきって

不幸と苦労

はい、こんにちは
今回の内容は前回の内容を読んでないとちんぷんかんぷんかも
不親切なブログでごめんな

今回話したいのはタイトルの通りだ
知人から「人生は量より質(意訳)」って言われたから「私より不幸な(質のある)人生の人はいっぱいいるでしょ?」つったら
「不幸に生きてきたのと苦労して生きてきたのは違う」
……なるほど、いい言葉だ
正直聞いた時はいまいち分からんかった
不幸だったら苦労しなくちゃいけないと思っていたから
私を不幸だと思ったことはないし
なので苦労してきたと思ったこともなかった
友達は私の小さな絶望の積み重ねが苦労なのだと言った
それでもよく分からなかったので
仕事中にいっぱい考えた
そこで私なりに答えが出たので纏めようと思った
それが今ブログを書いてる理由です

私の人生にあって人の人生にないものって
まぁ、病気だと思う
仕事内容も楽しくて人間関係もまぁどうにかなってるみたいに続けたい職場をさ続けられないわけだよ
でもそれで諦めないわけじゃん、私は
この仕事は好きだったけど続かなかった
じゃあ次の仕事を探そうってなるわけじゃん
それをずっと繰り返しているし
周囲の健常者にいつまでもちゃらんぽらんって言われても(要は病気を理解されなくても)
病気を理解しない方が悪いじゃなくて
相手が妥協できる点まで頑張るじゃん
あとまぁ健常者の周囲と比べて
自分の進まなさに辟易するけど
それでも歩みを止めないじゃん
これらすべてをさ、私は病気だからやらなくちゃいけないことだと思ってるんだよ
俺は普通に遊びたいし普通に仕事したいし(できるならしたくない)普通に生きていきたい
だから人より頑張る、または人と違うアプローチで頑張らなきゃいけないけど
それを受け入れてるよ
受け入れなきゃ頑張れないから
この俺にとっての当たり前を「苦労」と呼んでくれてるのかなって思った

これが「苦労」になるのは俺が病気や周囲を理由に歩みを止めないからだ
私は病気だから親が毒親だから
うん、歩みを止めても仕方ないって思ってもらえるかもしれない
俺は思ってもらえるって思わなかったから自力で歩いたけど
きっとそうやってそこで止まったとき「不幸」になるんだと思う
だったら苦労してでも幸福になりたい人と
歩めずに不幸でもいい人は
分かり合えないと思う

私たちは分かり合えない
考えれば考えるほど、人の話を聞くほど
無理なんだと思う
みんな私が悪いことしてるとは言わない
無駄なことをしてるとも言わない
でも無理だよって言う
正直私もそう思う
歩きたくない人に歩きなさいって言うのは
無駄じゃないけど無理だ
そもそも私や他人からみて歩きたくない人だけど
本人からしたら歩けない人なんだと思う
だから歩きなさいは酷いことだし
言われたら泣く
全員そうだったから
泣くことは自然だと思ってたけど
ずるいことなんだと教わった
なにも言うなって言う意思表明なんだと
ここまで言われたくないと言う意思表明をされてるのにどうして気づいてあげられなかったんだろうね
この話をしたとき
3人は本当に友達なんだねって言ってくれたけど
友達だったらこんなことしないよ
俺だったら友達にここまで面倒みてほしくない
もっと対等に扱って欲しいよ
「拒否されてもずっと手を差しのべ続けるのが友達」
彼女がこういっていたとき俺はぞっとしちゃった
俺がやってることではあるけど
俺は友達だと思ってやってないし
身近な大人の義務としてやってる
友達としてだったら大人になりなよ~で終わりだ
友達はきっと友達としてやってるのだと思う
優しさってやつだ、きっと
義務だから拒否されても手を差しのべ続けられる
権利ならそもそもやらない
みんな、権利でやってると思ってるから
私にもうやめなさいって言うんだろうな
義務だよ