誰があなたを殺したの

千秋楽まで耐えきって

俺の言葉は命より軽い

みんなは自分の言葉信じてる?
大切な人に信じてって言える?
今回はそういう話
つまらないね
あぁ、ほらこれも嘘だよ
でもみんなにとってつまらないだろうなって思ってるのは本当
だってみんな信じてるし信じてって言えるんでしょう?

俺の「俺の言葉を信用しないで」って言葉が気に入らないって言われたんだけどね
そんなの自分の言葉の薄っぺらさに絶望しなかった
浅い人間の戯言だよ
俺はちゃんと俺の言葉の薄っぺらさに絶望したことがあるし
今でも俺は俺の言葉を信用できない

昔ね「君に見捨てられたら生きていけない」って言ったことがある
本当にそう思っていたし
心からそう言っていた、つもりだった
でもその人に「お前が死んだら一年落ち込む」って言われたときに
あ、なんだ一年しか落ち込んでくれないのか
じゃあ死んでもいいなって思ったし
この人に見捨てられても生きていかなきゃいけないんだって思った
思ってしまった
これは別の記事で書いてるけど
その時に俺の言葉って軽いなって知った
一生貫けるようなことって言えないのかもなって思った
みんなは夢を語ってその道を諦めたことある?
人に愛を語って道を違えたことある?
誰かに寄りかかってそれに酔っていたことある?
ある人もない人も
自分の言葉に裏切られたことある?
きっとみんなその程度の言葉しか吐かなくても
その時は真実だったって言うんだろうね
でも俺にとってそれはちゃんと絶望だったんだよ
だから俺はどれだけ本心で言っていても
自分の言葉を信頼できないよ
その場の空気に酔ってるだけかもしれない
相手にとって都合のいい言葉を言ってるだけかもしれない
自分にとって都合のいい言葉を吐いてるだけかもしれない
ねぇ、自分の言葉を本当に信じられる?
相手に信じてって言える?

俺はね自分のことをどうしようもない二枚舌の嘘つきで耳障りのいい言葉を吐く糞野郎だと思ってるよ
でもそう思った上で俺は俺の言う言葉を
書き連ねる文章を
このブログをTwitterを愛してるんだよ
だから「俺の言葉を信用しないで」っていうのは
俺が唯一信じられる俺の言葉で
俺に対する精一杯の誠意なんだよ
いいんだよ
みんな自分の言葉に責任なんて持たなくていい
だってその方が楽で楽しいよ
その場しのぎの言葉を本心だと思っていたら
自分のことをずっと素直で正直な人間だと思っていられるよ
でも俺はそんなの嫌だ
嘘つきだと感じても
信頼できなくても
信用を求められなくても
俺は俺の言葉の軽さを分かっていたい
信じてほしいときは身を裂く思いで信じてって言いたいよ
自分のことが信用できないまま君に信じてなんて言えないよ

だから俺の言葉を信じないで
Twitterを鵜呑みにしないで
このブログですら疑って
今まで話したことを違えるなら詰ってくれ
単語じゃなくて態度を
信じることも信じられることにも臆病な
俺がたどたどしく稚拙に甘えてみせたことを見てくれ

これからどれだけ嘘をついても
この言葉すら嘘になっても
俺は80歳になって君たちとお茶が飲みたい