誰があなたを殺したの

千秋楽まで耐えきって

目の眩むような怒りを孕んでいる

この記事は親についてではなくて一般論というやつについての記事のつもりだ
なのでそのつもりで読んでほしい

私は親を加害者だと思っているはずなんだ
はずなんだ、というのは少しずるいがこう書くことを許してほしい
私は表立って親を責められないというスタンスを崩したくはない
責めてもいいんだよと言ってくれる人は私の周りにには割りといるが
それでも私は責められない、親は悪くないと言い張っていたい
心の奥底では恨んでいても。

どうしてそんな風に考えているのかと言えば
一般論というか「親に感謝しなさい」と言ってきた
(私が子供だった頃に出会ってきた)大人たちのせいだ
この大人たちのことは明確に憎んでいる
そんなことさえ言われなければ私はここまで拗れていないんじゃないかなとすら思う
この言葉は呪いだ。

誰から聞いても感謝できない親というものは存在するだろう
そんな親だったらきっと全員の口を塞いで生きてこれた
でも私の親は義務を果たしているし
義務以上のことをしてくれているいい親だったと思う…今もいい親だと思う
私との相性を除いて。

完全な家庭なんて存在しないのだから親に感謝できない子供がいてもいいじゃないか
義務を育児を果たされていても、それでも同じだけ傷つけられることを考慮しないのは怠慢ではないのか
それでも親も人間なんだから育ててくれたことに感謝しなくちゃ
親を責める度に私の中の偏見が口うるさい親戚のババアのようだ(口うるさい親戚のババアが実際にいたことはない)
大人に助けを求める度に親に感謝しなくちゃと言われ続けた私は親を責められなくなった。
なんたる無責任な一般論だろう
私はずっと親に嫌われていると思っていたし
今も相対的に考えれば嫌われていると思うが
絶対的に考えれば愛されているだろうな、と思う。
ようは順位が最下位なのだ。

それから私はこの親子関係に加害者や被害者を作るには
死ぬか殺すしかないと思った。
正しく言えば被害者になりたいので 死ぬしかない と
頑張ったが散々死に損なってもう疲れた。

当たり前のような一般論が
人を自殺に追い込むことを知ってほしい。
いい歳こいてこの一般論に噛みつくのはダサいが(この考えも植え付けられた偏見のせいだと思うと憎らしい)

視野の狭さは人を殺す。知ってくれ。