誰があなたを殺したの

千秋楽まで耐えきって

大切なのはlifeよりlifeよ

こんばんは読む人によってはこんにちは
最近割りと親とうまくいってる気がするので
入院中に頑張って諦めたり嫌悪したりしたことを
また諦められなくなりそうです

それはそれとして
タイトル読んでほしいんですけど
今まで生活(life)より生命(life)よと思って生きてきた
というより生き長らえることに必死になっていたのですけど
今回の入院で気づいたんですよね
俺もしかして死ぬ気があんまりなくなったんじゃね?
死にたいと思ってるときにちゃんと
今死にたいから入院しますってことができるのでは?
簡単に言うと限界がきたら助けを求められるのでは?
そしたらやることはひとつでしょ
そう生命(life)より生活(life)よ
生命を基盤に考えるのではなくて
生活を基盤にした生活ができると言うこと
これになんの意味があるかと言うとね
前回書いた主治医と親が話し合ったって話なんだけど
そこで主治医がずっと
話そうとしてることのレベルと言うかズレがあるっていってたんだけど
親が主治医にする話を聞いてて分かったの
健常者がレベルを一番低くしたときってそれは生活なんだよ
朝起きる時間、夜寝る時間、ご飯、家でなにしたか
そういう段階の話が一番レベル低いんだ
でも病気の奴は違う
生命について考えてる状態が一番レベル低いけどそれがデフォルトだよ
生きている、生きることに嫌悪感がない
意識を保ったまま一日を生きていられるとか
そういう状態
今まではここですでにズレてた
でも俺がちゃんと生活を基盤にして考えたら
一応コミュニケーションってそこまでズレないんじゃないかな
親の要求がちゃんと意味のあるものになるし
理解できるようになると思うんだよ

あとね、親が俺の観察日誌みたいなのつけはじめて
何時に寝た、何時に起きた、散歩したか、掃除したか、薬のんだか、言いたいこと(報告すること)があるか
だいたいこの六項目かな?
それをつけはじめてから親の話し方が威圧的で支配的じゃなくなったし
否定的でもなくなった
それは親の妥協だし努力だと思う
そして俺も生活を基盤にして考えるように努力してる
だからもしかしたらこれがお互いに続けられたら
もうすこしだけでも円満な関係になれるかもしれない
背中の傷に誓って一生許さないし絶対に許せないけど
今よりもちゃんとした関係になれるなら望んでしまうよね
何度苦しんで絶望して泣いて諦めようとしても
希望があるなら諦めきれないのが親子の辛いところだよね
好きなんだもん好きになってほしい
好きじゃなくてもいいけど害さないでほしいもんね
強欲でごめん
いつか親が死ぬ前にお金貯めて出てくけどそれは変わらないし
なるべく関係を冠婚葬祭以外持ちたくないのも事実だけど
憎みはしても嫌悪したりする関係にはしたくないんだよ
矛盾がいっぱいカーニバルかな
助けは求めないだろうけど限界って報告ができるようになれたらいいなと思ってしまうんだ
何度でも
愚かだって嘲笑ってくれ
俺もそう思う